胃癌大国であり胃癌による死亡が極めて多かった日本では、その早期発見と早期治療に多くの努力がなされてきました。バリウムによる二重造影に較べて、内視鏡は胃癌を早期に発見できる確率が高く、なおかつ早期に見つけられれば内視鏡を用いて病変を切除できることから、大きな期待が寄せられてきました。しかし消化管腫瘍に対する内視鏡治療は、少なくとも1990年代まではスネアワイヤを使用する治療が主流であり、切除できる病変の大きさや部位に制限がありました。内視鏡治療の基本原則として、理論的にリンパ節転移のリスクがほとんどないこと、技術的に病変を一括で取れることが挙げられ、当時の早期胃癌に対する内視鏡治療の適応は、上記の条件を加味して、大まかに2㎝までの粘膜内癌とされていました。しかし、従来のEMRでは、2cm以内の病変であっても一括切除率はせいぜい60-70%であり、無理に分割切除しても平均で15%程度の局所再発が見られており、大きな問題となっていました。当然ながら遺残再発病変に対する内視鏡治療は難しく、あまり悪性度が高くない病変であっても胃全摘であったり、直腸病変であれば人工肛門を伴う様な大きな手術が容認されていました。
その様な状況を打開するために、札幌の平尾によりニードルナイフを用いて病変周囲を全周性に切開してからスネアを掛ける、ERHSE法が1980年代前半に発表されました。しかし、長く鋭いニードルナイフを使用するため、出血や穿孔のリスクが高くあまり一般的にはなりませんでした。1990年代半ばに、穿孔のリスクを回避してより安全に切開を行うために、国立がんセンターの細川らがITナイフの原型となるものを開発し、小野らが病変の周囲を安全に切開する技術を確立しました。一方で、自治医大の山本らは、1990年代後半に粘性の高いヒアルロン酸ナトリウム液を局注し、より高い隆起を形成することにより鋭いニードルナイフでも安全に切開するという新たな方法を開発しました。
私のコンセプトはそれらとは全く異なっており、先端が鈍な短いナイフであれば穿孔させずに安全に切開できると考え、細径スネアの先端を極わずかに出した状態でナイフとして使用する方法を思いつきました。その後、後藤田らが国立がんセンターおよび癌研病院の膨大な早期胃癌手術症例を検討して、2000年に早期胃癌のリンパ節転移のリスクが低い条件を明らかにしたことにより、大型の病変や潰瘍瘢痕を伴う病変に対しても内視鏡切除が行われる様になりました。一方で、切開や剥離を行うことにより、従来にはない激しい出血が頻回に見られることが新たな問題となりました。しかし、我々はウォータージェットで出血点を明らかにして、止血専用鉗子を用いてピンポイントで止血する方法を編み出し、それが安全に治療を完遂するための手技として普及していきました。これらの工夫により2000年代初頭までに、まず胃における切開と剥離による切除手技が確立されました。当時はそれぞれが独自の名称をつけて、各自の手技を発表していましたが、後発で韓国からも類似の手技が発表される様になったため、名称を統一して差別化を計る必要性が出てきました。また、これまでのEMRとは全く異なる治療手技として保険収載を目指す必要性もあったため、私が当番世話人を務めた研究会の際に、この手技に新たな名称をつけることを提案しました。専門家での話し合いを経て、内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)を候補とする事に決め、ドイツのProf. Neuhaus、イタリアのProf. Montori、米国のProf. Lightdale, Prof. Waye等に手技の内容と名称に違和感がないかを確認した上で、2003年にこの名称に統一することとなりました。
その後、様々なESD専用の処置具が開発され、より安全かつ確実に病変が切除できる様になり、食道や大腸でもESDが普及して現在に至っています。しかし極めて大きなサイズの病変や、難しい部位にある病変、厳しい瘢痕を伴う病変などは、現在でも治療が困難であり様々な工夫が必要になります。例えば様々な牽引力を利用した切除方法は極めて有用であり、特に大型病変の切除の際にはその威力を発揮します。さらに血管の処理や繊維化の処理も極めて重要であり、血管や繊維化の部分をしっかり視認して適切に処理することにより、従来では不可能であった様な難しい病変でも切除できる様になります。一方で、十二指腸は内視鏡の操作性が悪いのみならず、壁が薄いために術中の偶発症発生率が高いのみならず、膵液や胆汁などの消化酵素の存在により術後の偶発症発生率も高いことが大きな問題です。それらの問題点を解決するために、水圧で切開創を開いて剥離し易くするためのWater Pressure Method(注1)と、術後の粘膜欠損部を完全に縫縮するためのString Clip Suturing Method(注2)を開発しました。これらの方法を用いることにより、従来は治療不可能であった主乳頭に接する大きな表在癌なども、内視鏡的に治療できるようになりました。現在では、これらの手技から派生した様々な手技が行われる様になり、以前はタブー視されていた十二指腸腫瘍の内視鏡治療も徐々に普及しつつあります。
1990年代後半から始まった我々の挑戦は、約四半世紀を経て標準手技として定着し、消化管腫瘍の治療戦略は大きな変貌を遂げました。さらにこのESDを発端として、粘膜下層に入り込み筋層すら切開して様々な疾患を治療する新たな領域が発展しつつあります。日本で開発されたこれらの新たな内視鏡治療手技がさらに発展し、治療後も生活の質を保てる低侵襲治療として、世界中の患者さんのお役に立てる様になることを心より願っています。
<編者注釈>
注1、2)については、GHN100号(著者:矢作直久)をご参照ください。